廃業した漫画家が、会社員になって家計を再生するのだ

標準体重と老後の安定を目指しています。

どんくらい投稿してたら漫画家になれるのさ

立志篇

私はだいたい小学3年生ごろから「漫画家になりたい」と思い始めて、

 

誰にも言わずに小学6年生には、『りぼん』に投稿してたわけですけど、

 

あ、ちなみにやっぱり当時の田舎の小学生クオリティで、画用紙に万年筆で描いた少女漫画だったですけど、

 

ちなみに主人公の中学生女子は、フツーに日常生活でジャージ姿でしたけど、

 

(田舎ってジャージ姿のまま登下校するんですよ。制服も着るけど、朝練とか部活してそのまま帰る時とか、それが一般的なんですよ)

 

まあ、そんなで25歳でデビューするまで、いつも何かしら描きかけで、投稿先を変えたりはしてたけど、けっこうコンスタントに投稿してた。

 

平均3か月に1本くらいのペースでしょうか。

 

 

脇道に逸れる

途中、小学5年でアニメ雑誌というものの存在を知り、同人誌なるものを知り、

 

中1か2で商業801を知り、中3で当時の同級生3人で、オフセットでギャグ本を作ったりした。ちなみに聖闘士星矢。50部刷って、5冊くらい売れました。前向きな表現。

 

それはともかく、中2で中島梓とJUNEを知り、小説に傾倒し、

 

大学は、当時唯一「小説家になるための学科」があるところを受けた。仮面浪人を2年して入学。

 

 

創作ができる時代・できない時代

んで、当時やはり大学教授とかOB・OGとかとしゃべる機会も多く、今まで周りにそんな人たちいなかったもんだから、ワクワクして、ソワソワして、

 

ちょっと知ってるふうなかんじで、見栄を張りたかった。対等に話したかった。

 

ある時、創作についての話をしてて。

 

「昔の人は、学生運動の頃の人とかは、戦争とかそういう社会的な大事件があったから物語で語るものがあるけど、私たちの時代は平和だし、何もないし、とくに語るものがない」

 

と、私は思い切って、それまで感じていた不満(?)を、たしかOBの作家業も始めたっぽい人にぶつけた。

 

でも、不謹慎だと怒られると思って、言ったあと、ちょっとゲンコツされるのを待ち受けるみたいに、ギュッと目をつぶった。そんな心境だった。

 

ら、意外にその人は、

 

「そうかもね」と言った。

 

 

人によって経験は違う

やっぱり経験がないと書けない。っぽいのは、その頃の自分も感じてて、

 

たとえば小学生のときに、1こ下の女の子が、詩でなんかすごい全国的な賞をもらったんだけれども、

 

それは、お母さんが亡くなったことについての詩だった。

 

そんなの出されたら、こっちはどうしようもない。勝ち目ない。

 

(勝ち負けじゃないんだけど)

 

一節を今でも覚えているくらいだから、モチーフが衝撃的ってのもあるけどそれだけじゃなく、彼女にはたぶんに充分に才能やセンスがあったとは思う。

 

んだけれども、作家ワナビーな私は、不公平さを感じてしまった。

 

 

「深夜の馬鹿力」で3,4回ネタ読まれたことあるんすよ(自慢)

わたくしの愛好する伊集院光さんは、なんかこないだ(といっても昨年あたりか)ラジオを聴いてたら、

 

「面白くなりたいっ」ていって、とにかくいろんな経験をするんだ、いろんな人と会うんだ、と活動してらしてて、

 

今にして「ああ、そうするのか。逆に、そうするしかないのか」、

 

と思ったんですけれども。

 

 

 戦争はなかったけど

と、そんな、戦争を知らない子供たちのさらに子供たち世代の傲慢さを発揮し、優しく受け止められたその翌年あたりに、

 

地下鉄サリン事件が起き、阪神淡路大震災があり、

 

無差別殺傷事件が何件もあり、東日本大震災では重度ではないが微妙に被災し、

 

この社会は死亡原因でずっと自殺がトップだったりし、

 

それなりにああなんだ別にうちらも。平和じゃないんだ。とじんわりわかってきたことでした。わかりずらいだけで。

 

 

 

なんか人がホッとできるようなこと書きたいですよな。マンガでもブログでもさ。

 

「自分だけがこんな暗黒じゃない」っていう意味でも、いいからさ。

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